成光庵 来歴 慶安の時 奈良 興福寺 慈眼院 近衛家 金森宗和に依頼 入母屋造三畳台目出炉を建てる 世に「六窓庵」と呼ばれる 明治の初 高階在晴 住う 高階没後 町田久成が所有 町田久成は東京帝室博物館の初代館長に就任。 後に出家。 近江 三井寺の住職となる。 明治八年 東京帝室博物館 購入 京の数寄屋師 木村清兵衛幸次郎「六窓庵」解体 船で運ぶ 而るに 船 嵐に合い 伊豆にて難破 部材一部消失 明治十年 木村清兵衛幸次郎(二代)図面を基に 上野に「六窓庵写し」を建築 これを参照し「六窓庵」を移築 完成 木村清兵衛「六窓庵写し」を解体保存。 町田久成 を介し 益田孝(鈍翁)三井に譲渡。 明治三十年頃 「六窓庵写し」 鎌倉 雪ノ下に移築 明治末 鎌倉「六窓庵写し」 三井 大蔵省 に譲渡 後 朝鮮銀行の所管となる 昭和二十年 朝鮮銀行 八代総裁 田中鉄三郎 「六窓庵写し」栗田家に譲渡 六代総裁 松原純一(角川書店) 仲介 昭和二十一年 木村清兵衛芳次郎(三代)喜三郎(四代) 大東亜戦争中再び解体した「六窓庵」再建の際「六窓庵写し」検証 昭和四十五年 木村清兵衛喜三郎(四代)没 昭和四十七年頃 山本太一郎 重森三玲 に相談 露地作庭「六窓庵写し」移築を計画 昭和五十年 重森三玲 没 「六窓庵写し」移築計画 白紙 上原敬二(東京農大)に相談 上原敬二 教え子 安諸定男 を紹介 昭和五十五年「六窓庵写し」鎌倉より忠海に移築 茶室は藤森明峰斎 庭は安諸定男 上段の間「太豊居(たほうきょ)」と銘名 小間「成光庵(じょうこうあん)」と銘名